紫陽花が咲く頃に
できる範囲で着々と揃えていっています。
貰われなかったカップル用のやちむん。
改めて友情って、友達って。。
そして人って。。。
とショーシャンクの空にを見直して考えたけどやはりわからん。
思い返せば、何だったんだろうなと。
差別は言われのない対象にもなり得る。
私は過去にも幾度となくそんな局面になっても、相手関係なくその対処をするだけ。
必ず本人に返ってくるのは、何度も見ているかのように。
そして、それを見るのは日常かのようになっていること。
今の家に来ること、私が何人かの友達を失い、人の残酷さを見ることはデジャヴで見ていたはずなのに。
過去の私は
皆、かなえちゃんが帰ってくるのを待ってるよ。
の一言で、私は悲しい決断をしてしまった。
それを言った人達が今はいないこと。
ただ、希望は捨てないこと。
必死に生きる方を選ぶ方がいいんだろうなと、映画の最後に現れています。
私にも答えは帰ってくる時期は来るのでしょう。
兎と亀のように。
雨に濡れる紫陽花は切なくて、寂しいようですごく綺麗。
何度も泣いたから、涙は簡単にもう出なくなったことに気が付いた。
来年の紫陽花を見るときにはどうなっているだろう?
ひとつひとつ、自分の小さな傷を治していかなきゃ。
諦めていないことはそのままにして。