個人のモラトリアム
求められなければ続かない。
言われる前に動いてる。
昔は全然仕事になるまで生活が成り立たないこともあったけれど、
30になってからやっと自分のやりたいことを仕事に出来るようになったんだよ。
と、22の時に初めて聞いて
なんとなくだが言葉の重みを感じたのは覚えている。
日々の大切さと努力の意味。
淘汰の切なさ。
私は自分の給料を低い時にしか人には言わないようにしていた。もしくは低く言うか。皮肉なことに私の人生の市場の上限は激しい。
そういう時の人の反応は怖い。
時々、以前住んでいた家でもなんも言ってないのに勝手に嫌がって、頑なに何も聞こうともしない時があった。
多分、周りの人が本人に今までに強く言われたり求めたりしたのだろう。
最後もそうだった。むしろ、周りの人には出来ないから私には言われのないことで強く出ようとしたので危なく思えた。
多分何も聞こえないんだろうなあ。勝手に私を作り上げてるんだろうなあとなった。
いつもそういうスイッチが入ったら頑として聞いてくれなかった。
例えば一つの例で言うと、
時々、お店で差し入れでもらったお菓子が冷蔵庫に溜まり、たまに週一ないしくらいで飲むお酒。私はお酒が弱いのでいつも一つの缶ビールを飲みきれず、分けて飲む。
たまに食べきれないから食べてと、言ったのを覚えてなかったようだった。
家を早めに出ることをギリギリまで言わなかったのは変な衝突を避けたかったからだ。
これはもう自分の世界に入ってるなと思ったので何も言わないことにした。
3ヶ月分くらいの缶の中にお店の差し入れも混ざっていた。
今頃私は酒乱で傲慢かな?泣
個人個人のモラトリアムは違っていてすごく難しい。
他人と暮らすことの難しさを知った半年だった。。
早めに今の家に引っ越したのも、12月から物件を探し続けて、今の家に引っ越すのもデシャヴで見ていた。
私は時々思う。
嫌なデシャヴで見た時が当たった時に、私は何を思えばいいのだろうと。
今は嫌なことは忘れて、切り替えるようにしてる。
そして、意外な所でびっくりするようなことを言う人もいる。
地元のTSUTAYAは夜は仕事終わりの販売員が良く雑誌コーナーに溜まる。
昔のいつかの日に、いつも通り、仕事帰りに雑誌を読んでいたら
あるお店の人が大声であのカップル別れたんでしょう?なんでか知ってる?と後輩らしき人に噂話をしていた。
面識はあったが、私の中では噂話が好きでしかも大きくありもしないことを色んな人に振りまくと聞いていた人だったので、気付かないフリをした。
正直その人が苦手だったからだ。
私のこともその時は、ただ普通に話しかけただけなのに、俺に気があるバリに周りに言っていたり、自分のお店の店長の友達といつも通りに普通に挨拶して軽く話していただけなのに、その人が好きということに翌日なっていたりとか。。
そんな光景が昔は時折、あって、
なんだかなあといつも思っていた。
正直近づかないように、私は他人ですよ、雰囲気を出していた。
私はそういう類が苦手だ。
もう今は私も年を重ねて、そんな対象にはならないだろうし、離れているのでなんもないけど。
長い人生、なんがあるかわからないけれど素直に日々を大切にしていけたらなあと。
平和に過ごせますように。。