ウォールフラワー
例えば、なんかあった時に心が弱い人ならば宗教や、変な商売や借金にでも引っかかりやすいのでしょう。
ですが、正直、小さい頃から心が弱くて普通ではない大人達を見てきた私にとってはその先の排他感を知ってしまっているので関心が持てません。
時折出てしまう癖で、適当に話を合わせて、聞いてるようで耳に入ってないところはそこから来ているのかもしれません。直したいのに直せないのも悩みの一つ。
皮肉にも会うことはない自分の親戚達も、自分の家族がきっかけで、私位の年齢で故郷を離れている人ばかり。
皆、自分と血の通った人を信用していない。
叔母に、
信用出来るのは今の場所で出来た友達だけだった。
と聞いた時に嫌な予感が走ったのに私は馬鹿だった。
人は人で、煙たいものには目を背けたくなるもの。
多分きっかけはそこを引き金に、露呈したのでしょう。
私は寂しさと、情に負けてしまった。私は弱い人間ですね。
自分が家族を持つのも、憧れはあるのに実感が持てなくて、怖い。
多分ここまで来たので、全部露呈してるか、大きく膨れ上がってるかと思いますが、私は自分が過ごした子供時代と同じ想いを自分の子供にもさせるのではないか?という恐怖心がどうしてもあります。
それを拭える日は一生来ないのかもしれません。
簡単に映画に比喩するならば、映画の、「血と骨」のようなものです。
神は自分の心にしか存在しない。
人は時に残酷なものです。
それは些細なきっかけでも、どんなきっかけでも露呈するもの。
小さい頃にそれを見てきていたのに、私は情に負けて、自分の生まれのことをすっかり忘れて、今、小さな頃に感じていた想いを感じる羽目になった。
小さい頃、家に帰りたくなくて、日が暮れる頃まで一人でおままごとをしていた私に、ある日近所のおじさんに
大きくなったら、幸せになるんだよ。
とお菓子をくれたのを思い出します。
近所のこで、私より少し年下の小さな5歳位の子が、
お母さんとお父さんにかなえちゃんと会うのはダメて言われたけど、一人じゃつまんないからバトミントンしに行こうよー‼︎なんで遊んでくれないのー?と
唐突に家の玄関まで来て、言われたことも。
その後、鬼のような形相で向こうのお母さんが迎えに来て、なんか色々言ってきたことも。
同情を引きたいのであれば、
本気で願うならばもっと上手くやるでしょう。
人は地獄のような日々から逃げ出すきっかけならば、どんな手でも使うのも厭わないだろうから。白夜行みたいに。
そんな人達は、目の前の現実に必死です。そうしなければ、いとも簡単に潰されるのを知っているから。
それが叶うなら小さな頃に既に願っていたでしょう。
ただ、家を出てから、自由を手に入れた時からの日々は辛いこともあったけれど、楽しいこともあって、良かった。
自分の人生をやっと送れる‼︎と思えたから。
そして、その地獄を見たのは私だけではないことを知ったのもいいきっかけになったと思う。
私は悪にはなりきれません。その成れの果てがどんなものになるか見てしまっているから。ろくな人生にならないことも。
今日も1人、近所の花を見て、普通にキレイだな〜と思って、夕飯に使うパンを買い、家路に着く。
明日の仕事はどうなるかな〜と不安も感じながら。
いつの間にか、寂しさは忘れ、日々を考えることに頭が一杯になる。
東京にいた時はあんなに寂しがっていたのにすごく不思議。
いつから寂しさを忘れてしまったのだろう?
明日も少し肌寒い日なのかな?