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新月に明く藍色

日々。海と猫が好き。

清濁併せ呑むの始まり。



私はなるべく、人の伝い聞きだけで人を判断しないようにしている。
本人と接して見ないとわからないし、それで得たものも大きかったりするからだ。

何故なら、私にもあったことだが、
他の人が言ったことと、本人の主張は全く違っている時があることを知っているから。


地元にいた時、東京にいた時、小豆島にいた時。
それで泣いている人、人生を冷めて見ている人を見た時になんともいえない気持ちになった。


私は東京にいた時に、自分の正論をいつも通りに押し通したら、それで窮地に立たされたことがあった。
周りには知っている人はいない。
知らない場所で一人きり。
助けてくれる人はいない。
新宿南口から乗る京王線の電車の中で、底辺を味わい、呆然としながら駅から20分かけて、家に帰る。
勿論、話を聞いてくれる人はそばにいない。


それから、数年後。
住み込みで小豆島のホテルに働いていた時。お姉さんという、懐石を取り仕切る60オーバーのおばあちゃんにつきながら、旅行客に部屋案内や、懐石のマナーを学ぶ。


ある日、新人2日目の私は、84歳のお姉さんと初めてペアを組んだ。
なにも料理のルールなんて知らない。
何を聞いても、お姉さんはガンとして無視。
その後、こっそり他のお姉さんに呼び出され、一通りの懐石のマナーを、ざっと5分説明されて、事なきを得た。
だが、それが無ければ、旅館の女の世界に特有の新人イビリが始まっていただろう。誰も知っている人はいなく、知らない場所で1人で。


他から来た出稼ぎの人達も、最初は様子を伺い、大丈夫そうなら話してくれるようになった。


またガン無視の84歳のお姉さんとペアになった。ガン無視されるが、私は自分から、こうやるんですよね、今日はどんな団体さんなんでしょうと話しかけるようにしたら、後々話してくれるようになり、その後は優しいお姉さんになっていた。


清濁併せ呑むとはこのことかと思った。


これが無ければ綺麗な夕日も、綺麗な景色も見れなかった。何故なら1人だけでは来れない場所だから。
その時に出来た仲間とお遍路さんを登りきり、見た夕日は今も忘れられない。
辛さを乗り越えなければ、美しいものは見れない。清濁併せ呑むの意味を実感した夕日。

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今後もなんかはあるのだろう。
でも、負けてはならないと自負している。

今を見ることは大事だ。

踏み出さねばならない時と清濁併せ呑む時のタイミングは難しい。

だが、やり切る。

皆、そうして生きているのだから。